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ウィン・バロック「そこに光あれ」

  • 2006年12月18日(月)

ウィン・バロック「そこに光あれ」
被写体の向こう側にある暗号とメロディー  ウォン・ウィンツァン・インタビュー
K・MoPA(清里フォトアーとミュージアム)友の会・会報28号からの転載

http://www.kmopa.com/photo.htm

“カリフォルニア派”写真家の代表的な一人として知られ、森や海などの自然を捉えたリリカルな作品で知られるウィン・バロック。
K・MoPAでは、ウィン・バロック「そこに光あれ」展に当館収蔵作品約100点を展示し、自然の神秘を精緻なモノクロ印画で表現した世界をご紹介いたします。
ウィン・バロックはテノール歌手として出発し、プロとしての華々しい活躍のさなか、自ら声に限界を感じて引退し、試行錯誤の末に写真家として新たな道を歩み始めたという異色の作家でもあります。
今回は、作曲家、ピアニストとして活躍され、写真にも造詣が深いウォン・ウィンツァン氏をお招きし、音楽家の目からみたウィン・バロックの愉しみ方をお話しいただきます。

インタービュアー:小川直美(K・MoPA広報担当)

ウィン・バロックの作品を見ると、無意識の中に音楽があるんじゃないかと感じる。

本文
小川:ウィン・バロックはテノール歌手から写真家へ転身したというだけでなく、大恐慌の時代には芸術から離れて不動産関係の仕事についたり、法律を学んだりと、暗中模索を重ねた作家だと思います。ウォンさんも、音楽家として非常に悩み迷った時代がおありだったと伺っておりますが、今日は、そうしたウォンさんからご覧になったウィン・バロックの愉しみ方をご紹介いただけたらと思います。
ウォン:一人の音楽家が音楽を断念することの心の痛みって、相当深いものがあるんですよ。音楽の魅力というものを一度知ってしまうと、一生涯それを引きずるのが当然なのね。ふつう音楽をやっている人が映像に行くと、映像を通して音楽の体験を翻訳しようとするんだけど、彼が後に音楽について一切語ってないとしたら、彼の心の中で、音楽をやめたことが大きな傷になっている、あるいは影の部分になっているん
だろうと思う。
小川:テノール歌手を続けないという選択は、やはりバロックにとって苦痛だったと?
ウォン:自分からやめたってことは、相当葛藤したはず。その末に彼が歌手をやめたことには、深い自己ウォッチングがあったと僕は思うね。彼はそれだけ音楽に求めているものが高いわけよ。すごいジャッジメントを自分に下してる。
小川:ウォンさんにもそういうご経験が?
ウォン:ありますよ、長い間自分の音楽を良しということができなかった時期が。僕は19才から演奏活動を始めてるんだけど、実をいうと23才頃自分の音楽に挫折してしまって。
小川:それは他からの評価ではなく?
ウォン:自己評価だよね。自分が求めていることが音楽を通して表せていないっていう。でも僕には音楽しかなかったので、自分がイエスといえるまで20年ぐらいかけて自分の音楽を暗中模索した。バロックが印象派に影響を受け、そこに刺激を受けて写真を撮り始めたっていうけれど、実は僕も大好きなんだよね。僕が見ているのは、ゴッホ以降。それから近代の人。音楽家にとって音と同じようなレベルで見えているのが光なんだよね。彼が古典の音楽、古典絵画ではなく光のアートとして出発した印象派に惹かれていくのはよくわかるな。
小川:絵画や写真には画面に定着されていく、という魅力がありますね。
ウォン:音楽は時間芸術。写真はシャッターを押した瞬間の意識を光と影によってプリントにチェンジしていくわけなんだけど。今日、彼の作品を一気に見せてもらって感じるのは、“流れ”。それが葉脈、あるいは木の枝や鉱物のモアレみたいなものであっても。いうなれば流体感覚みたいなものを、彼は作品、時間、映像の流れの中に集約している。彼の無意識の中に音楽があるんじゃないだろうか。
小川:そこが他の作家と少しちがうところでしょうか。
ウォン:植物や鉱物独特の造形や、その向こう側にある“暗号”の中に、彼はまさしくメロディーを受け取っていたんじゃないかという気がする。僕が大好きなのは、遠近とリズムが作品に感じられるところなんだよね。



音楽の理解力と数字の理解力はある意味でシンクロするところがある。

本文
小川:バロックには、不動産管理の仕事をしなけれらばならなかった時期があるんです。声に限界を感じてアメリカに帰国した1930年頃は大恐慌、もはや芸術に専念できる時代ではない。実はウィン・バロックのお母さんが判事で、奥さんの実家は不動産管理業。バロックも仕方なく法律を学ぶために大学に2校行くんですが、両方とも中退していて。芸術家としてかなり厳しい状況だったと思うのですが。
ウォン:僕も一応一家の長なんで、そういうことを一生懸命やらなければならないというのは分かる。僕の父親は元貿易商、今でも現役でレストランのマスターで、家に帰ると自分で簿記をやるような、僕とは正反対の人。DNA全然ないんだよ。(笑)だから多分、ウィン・バロックもかなり苦痛だった。ただしね、音楽家って、数字感覚が非常に優れている面もあるんだよ。だから、ウィン・バロックは一時前衛的なもの、ソラリゼーションもそうだし、テクノロジーの開発をかなり一生懸命やったアナログの時代の人だけど、考え方、意識としては、非常にデジタル感覚に近いものを持っていたと僕は思うね。
小川:楽譜を読むこと自体、信号を理解するっていうことですしね。
ウォン:そう、音楽の理解力と数字の理解力はある意味でシンクロするところがある。
この人は科学が大好きな人だと思う。そういう魅力を、写真の世界っていうのは、脈々と持ってるんだよ。写真家たちがいろんな技術の開発をやっていくのは、実をいうとアート意識と、彼らの持っているデジタルな開発意識がすごくシンクロするからなんだよね。絵画とはちがう写真の分野だからこそあり得るような。
小川:面白いのは、バロックがソラリゼーションを研究して特許を取得していること。
ウォン:(笑)そうそう、ビジネスのようなこともやるぞ、みたいな。やっぱり世の中に自分を定着し、自分のアートを確立をしていくべきあの時代の中で、ちゃんとした社会意識を持っていた人だと思うね。
彼は、シャッターを押す瞬間からアウトプットするまで、セルフプロデュース能力の高い人だったと思いますよ。
小川:写真家になる決意をしたのはバロックが36才の時で、初個展はロサンゼルスで38歳。39才で写真の学校を卒業して、すぐに商業写真と肖像画で生計をたてるようになりました。
ウォン:おー。僕が今のスタイルで演奏を始めたのが40才。僕の一番最初のCDが出たのが39才。非常にシンクロしてる。
小川:バロックは商業写真で成功し、絵はがき用の写真を撮って販売、写真スタジオの営業権を獲得したり、着々と土台を築いていきます。ところが46才の時にエドワード・ウエストンというすごい写真家に出遭って、決定的な影響を受ける。そうしたら、実験的な作品を一切やめて、ストレート写真に方向転換してしまうんです。
ウォン:すごい情熱家だったんだろうね。音楽のこともそうだけど、きっぱりやめたというのは情熱と同じエネルギーだと僕は思うね。



1955年の「ザ・ファミリー・オブ・マン」展で論議をよんだ「森の中の子供」

本文
小川:ウィン・バロックが書き残した文に「写真というものはイメージのアレンジではなく、本質を写すということだ」と。直感的に、そして情熱的に「これだ」と突き進んで、あとから理論的に検証し、言葉にも表しながら自分の世界を深めていく、そういうやり方のように見えます。
ウォン:結局さ、一つ楽器があって、誰がひいてもドを弾けばドの音が出るんだよ。でも、ピアニストによってぜんぜん別の曲になってしまう。彼はやっぱり彼の目を通してしか撮れない写真撮ってるものね。音魂(おとだま)っていう言葉があるけれど、そこに光の魂を見ているんだと思う。結局、“彼はなぜそれを撮ったのか”ってことだよね。彼の、全感覚を開放して造形を見つけるセンス。だから彼が言ったじゃない、「私の写真は決して前もってイメージしたものでも、もくろまれたものでもない」。ある日突然見つかるんだよね。なにかがぐーっときた時に、散歩し「おー、ここに子供を寝かせよう」って。それはまさしくインプロビゼーション(即興演奏)ですよ。
小川:今お話しに出た「森の中の子供」、これは「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」という大展覧会にバロックが出品した作品なんです。
原爆が投下され第二次世界大戦が終わり、朝鮮戦争も起こった。人間の悪魔的な面ばかりが露呈した1955年、エドワード・スタイケンが、善なるものをもう一度見つめ直そうという意図で企画して、503点もの写真を集め、開催した展覧会で最も論議を引き起こしたのがこの作品だったんです。
ウォン:この写真に、僕はやっぱり死の影を見たんだよね。それは同時にエロティシズムでもあるんだけれど。この子が死の象徴であるとか、そういうことではない、なにかこう―非常にセンシティブな皮膚感覚を感じてね。ある意味すごい惹きつけられ方をするんだけど、正視することができないようなきわどさがここにはあると思う。それだけ物議を醸すエネルギーを持った作品だと思う。
小川:「人間家族」には非常に質の高いインパクトの強い、ある種華やかといっていい程の写真が数多く出品されているんですよ。スタイケンが、その全作品の中からわざわざこれを一枚目に展示した意図は何なのか、と思うんですが。
ウォン:それはちょっとわからないな。ただ、死というのは同時に誕生。ダークなイメージではなくて、聖なるものを感じるんだよね。
小川:モデルになった娘のバーバラの手記(会報7号に掲載)を読むと、驚くほど牧歌的で死のイメージの片鱗すら感じられない、ある日常の一コマとして、撮影前後の風景が語られていました。私などは日本の80年代90年代を通過して、映画にも現実にも毒されていますから「あっ、殺人事件だ」と、一番最初に思いましたね。しかし、ウィン・バロックやバーバラに言わせると「それは違う」と。
ウォン:自然の森の湿地に育った植物の中に、ふっと子供の背中という最も繊細なもの、無垢なものを置く、そのバランス感覚は、やはりウィン・バロックが持っている感性以外のなにものでもない。しかも、ぜんぜん古くないんだよね。日本の現代でも十分通用するセンセーショナルリズムをこの作品は持ってる。これはまさしく写真の持っている永遠性ですね。
小川:その辺りをスタイケンはぐっと掴んで、この作品を一番最初に展示したいと思ったのかもしれませんね。
ウォン:“森の妖精”みたいな、バロックのこういう作品(「森の道を歩く子供」)
も、僕はすごく好きなんだ。
小川:妖精のような、という、それもバロックが持っているひとつの側面ですよね。
バーバラの記述では、7歳のとき、自分がモデルになったこの父親の作品(「森の中の子供」)が新聞記事になったのが嬉しくて、学校の授業で話すわけです。それが裸の写真だと馬鹿にされてしまう。
ウォン:でも、バーバラ自身は、そんな気は全然なかった。あれー、とかって。(笑)
ウォン美枝子(ウォン夫人):バロックがこの作品を「あらゆる先入観をとりのぞいて、もう一度見なさい、そして、この寝ている子供の気持ちになって地球を感じてごらん」と。その彼の言葉で、私の中の感覚が全然変ったのね。地球で朽ち果てるものと生まれるものとの一体感、この生命力、本当にすごいと思った。自分の既成概念で見るものと、彼らが感じているものとの間に、すごくギャップがあることを知りました。
小川:バロックとバーバラが言葉に残してくれたからこそですね。
ウォン:そうなんだよね。難しい言葉を彼はたくさん書いているけど、そこからもインスピレーションをもらうんだよね。


ウィン・バロックの作品に見る永遠性

本文
小川:この展覧会に出品した2点のうち、もう1点がこの「そこに光あれ」です。
ウォン:彼は「光」と「放射エネルギー」っていうのが、大きなテーマになっているよね。彼の言葉を見ていると、ある特定の宗教ではないんだけれど、人間本来の深いところにたゆたっている哲学がある。とりわけ、このタイトルに象徴させたものがあるんじゃないかと思いますね。
小川:この一見風景写真のようにも見える作品が、6万5千人のアンケートの中で一番好きな作品に選ばれたことが驚異なんですよ。ほかにも印象の強い作品はたくさんあるのに。
ウォン:でも普通の写真家は、絶対こうは撮らないよ。彼は、よくこの「光」を、こんな、ど真ん中に持ってきたなと思う。
世界がひとつの永遠性の中に盛り込まれているということを光の反射に象徴した写真じゃないかな。
小川:タイトルは旧約聖書から引用した言葉です。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の魂が水の面を動いていた。神は言われた。/『光あれ。』/こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(「創世記」1:1-5)
ウォン:―これは、とりとめのない話になってしまうかもしれないけど―。僕の音楽家としての前半と後半というのは、僕にとって20世紀的なものと21世紀的なものがからみあっているような気がするのね。音楽家として、僕にとっての20世紀は、ウィン・バロックと同じように技術、表現方法っていうものを実験、開発する時代。
それでいて、行なったことをどんどん解体、壊していく作業でもあった。全部壊しきっちゃったのが20世紀っていう感覚が僕はする。それは原爆に象徴されるものであったり、イラクなどで行われている非常に高度なハイテク戦争、その向こう側に覆い隠されたドロドロしたものであったりするわけなんだけど。でも、辿り着いた時に、そこに自分の立脚点を見つけることができなかった。新しい指標を見つけるために、僕は昔からある仏教、キリスト教、インドの宗教、そういうメソドの向こう側にある修行テクニックを自分のノウハウとして、自分の一番心の奥底に辿り着こうとしたの。そこに21世紀を見ようとしたけれど、実はそれは時代に関係なく、どのアートにも、そのエッセンスを注ぎこむことができることに気づいたんだ。つまり、仏様の言葉でいうなら、すべての人にも物にも“仏性”が宿っている。時代を超越した人間の本質を見ようとする時には、必ずそこににじみ出てくるエッセンスがあると。僕はウィン・バロックの作品に、まさしくその永遠性を垣間見た。彼も垣間見ようとしていたと思う。最終的に彼が辿り着こうとしたものは、それを超えた向こう側にある、まさしく心眼によって見える世界だったと思う。
小川:晩年の作品が「石」だったというのもすごく―。
ウォン:象徴的だよね。結局さ、ドレミファソというのは永遠にドレミファソなんだよ。誰が弾いても1000年たとうが2000年たとうが。演奏しようとするときに、一番心の奥底にある本当の自分につながって演奏できるか。いうなれば、そこに魂を込めることができるかどうかということに尽きてくるんだけど。
小川:21世紀に、ウィン・バロックの捉えた自然が生き残ることはできるでしょうか。
ウォン:エコロジーっていうのは、なかなかコメントしにくいんだ。なぜかっていうと社会正義だから。誰が言っても、地球を大事にしたいということになっていくんだよね。ただ僕が絶対言いたいなって思ってるのは、エコロジーを考えるときに人間を地球の寄生虫みたいな感覚でとらえること、それだけは僕はやめたいと思う。我々は地球にとってできの悪い子供ではあるかもしれないけれど、やっぱり母なる大地は育んでいてくれるんだと思うよね。母なる資源におんぶに抱っこ、与えられた資源を無造作に使うんではなくて、母親と共生していく。大地にきちっと足をつけて成熟した人類をつくっていかなければならない。そういう意味では、エコロジーというより一人の人間として、社会全体、人類がようやく自立しなければならない段階にきているのではないか。地球という母体から、次なるマトリックスへ移行しようとしている時期、それが21世紀じゃないかと僕は思う。
小川:1995年のオープン以来、K・MoPAの基本理念は「生命(いのち)あるものへの共感」です。当館が第一に掲げる理念に添ったコレクションとして、友の会のみなさんに、ウィン・バロックの作品を再びご覧いただきたいと思っています。
ウォン:ぜひ、バロックの作品の向こう側に見える宇宙観というものを感じ取ってもらいたい。そして、その流体感覚、あるひとつの感覚をね、感じ取ってもらいたいと思います。

2006年10月10日(水)清里フォトアートミュージアムにて

あるアンケートへのレスポンス

  • 2006年11月28日(火)

先日11月19日にトッパンで例年のコンサートが行われた。
おおむね好評を得て、アンケートでもすばらしいコメントを沢山いただいた。
コンサートでいただくアンケートはいつも肯定的なものが多く、うれしいものだが、中にはなかなか辛口のもある。

今回のアンケートの中に、「トークで宗教の話はしてほしくない」
「(ウォンさんの)メロディーだけで聴き手は、それぞれの世界観で受け入れ、糧にしてゆける」
「限定したイメージを、観客に与えることこそ、無限の可能性と力を秘めたメロディーの力を、自らそぎ落とすことになりかねない」といった内容のものがあった。
なるほど〜〜と、それなりに頷けるものがある。

でも、私があの時のトークの内容の全体を理解していただけてないとは思った。
また、文章の最後の方では「宗教のコマーシャルの為に時間を取られた」とか新興宗教に対して否定的でその中には「予証」とか「外道」とかの仏教用語が使われていた。
もしかしたらこの方は、ご自身が信奉する宗派があり、その観点から他の宗派が受け入れられなかっただけなのかな、とも思った。

たとえ辛口でも私は今回のようなコメントは、きちんと受け止めたいと思っている。
それにこの方は「私にとってウォンさんの曲はヒーリングであり、明日への活力で、友人にも是非と勧め、毎回必ず誘い合わせている」と書かれてあって、私の音楽を本当に愛してくださっていると感じることもできた。

で、私的には、それなりに自分のスタンスなり考えなりを理解してもらいたいので、お手紙を差し上げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前略
いつも、応援していただき、ありがとうございます。
アンケートを読ませていただきました。
先日のトッパンホールでのトークに関してのご意見、私と音楽への想いからお書きになっていると感じましたので、とてもありがたいことだと思いました。
ただ、あの時、私がお話しした内容をご理解いただけていないとも思いました。
それは、私の話し方が稚拙で、不十分だったから、と反省しました。
ですので、改めてこのお手紙で説明させていただきたく思います。

あなたの仰るように、音楽に「言葉」は必要ないのでしょう。
「無限の可能性とメロディーが秘めた力を、自らそぎ落とすことになりかねない」という危惧もわかります。
ですので、そのようにお考えのオーディエンスは、私の音楽が誕生するエピソードなど知らない方がいいのでしょう。
例えば、昨年のコンサートのように全くトークをしない場合もあります。

でも、私は音楽家として、音楽に向き合うその都度その都度に「言葉」というものと、深く関わっています。
私は音楽家である前に一人の人間として、その生き方に向き合う時、言葉によって「考える」ということをやめることは出来ないと思っております。
「感じる」ことと「考える」こと、その両方を手放してはならないと、強く思っています。
そして、その時その時の自分の生き様を、オーディエンスに開示していくことも、大事なことだと思っているのです。
この地球の日本という国で、この時代に一緒に生きているもの同士が、その時その時に「感じたこと」や「考えたこと」を分ち合うこと、それは私たちに必要なことだと思っているのです。
私にとっては音楽家であることよりも、「一人の人間として生きている」事の方が大事なのだと思っているということだと思います。
それに、私が何をしゃべろうともどんな注釈をつけようとも、音楽そのものの可能性や力は、もし本当に優れた音楽なら、ほんの少しも失われることはないと思っています。
それは音楽に対する私の基本的な信頼です。

さて、今年、いろんな方面から音楽制作の依頼を受けたときに考えたことを書いてみます。

私は今のような音楽活動をする前、テレビコマーシャルの音楽制作の仕事をしていました。
企業などから依頼を受けて、相手の意向にそって音楽を作ることが生業でした。
そして、今の音楽活動をするようになり、よほどのことが無い限り、外部から依頼を受けて音楽を制作することはなくなりました。
それは、音楽が何かの為にあるのではなく、純粋に音楽そのものであってほしい、ということだったと思います。
逆に言えばコマーシャル制作時代のいろいろなトラウマが、私を頑なにしていたとも言えます。
外部との間に境界線を張り、自分の音楽を守る為の保身でした。
つまり、恐れがあったのだと思います。

しかし、私もようやくそれなりに成長し、近年、外部との隔たりを少しずつ溶解し始めています。
つまり外部との間に境界線を引かなくても、
揺らがなくなったということだと思います。

何か創造的なことが起こるとき、そこには必ず出会いがある。
何か想いを実現するとき、人との出会いや育みによって実現されます。
たとえ一人で孤独に作業をしているときも、その人は一人ではないんです。
音楽やアートだけでなく、すべての想いは、出会いの中で育まれる。
縁(えにし)の中で育まれる、ということです。

私が出会った人たちは、それぞれのの想いをもち、それぞれの役割なり役目を果たしていました。
言うなれば、それぞれのダルマ(人生の役割)を生きていると言えます。
ある人は宗教に、ある人は哲学に、絵本に、映画に、、、、
そしてそれぞれの想いの広がりを表すために、私に作曲を依頼して来ました。
私は彼らの想いに共鳴し、音楽を作る訳ですが、
音楽は彼ら個人や組織の想いをこえていくところがある、つまり音楽の持つ普遍性のようなものがあるのです。
私が共鳴するのは彼らの想いの向こう側にある、地球的の想い、あるいは宇宙的な想い、言うなれば「命の想い」に共鳴するのです。

他の人と共同作業をするのは実はそれなりに大変なのです。
なぜなら、とかく違いや差異の方が際立って見えるからです。
それでも、個人の枠を取り払って、広い世界観を持ち、それぞれの役割を生きながら、それぞれを認め合い、互いにオープンになれば、それぞれの主義主張や信条をこえて、想いを実現することができると思うのですね

私は特定の宗教団体や政治団体や、音楽業界という世界にも属していません。
私自身は単独者であること、これからもそれは変わらないでしょう。
でも、団体や組織など、外部を拒否すること無く、いつもオープンに柔らかい関係を作っていきたいと思っています。
世界中の人がそのようになれば、
宗教戦争やテロはどれほど少なくなることでしょうね。

私もゴータマ・シッダールタ・ブッダが人間として大好きです。
優れた思想家であり、宗教家として尊敬していますし、大きく影響されてもいます。
また、大乗仏教、上座部仏教、密教、それぞれに真理がちりばめられてあり、それぞれからたくさんの学びを得ることができると考えています。
それぞれが現存しているのは、それなりに理由があるからだと思っています。
それがたとえ新興宗教でも同じだと思います。
その意味では、私にとっては外道も内道もありません。
私が宗教が好きになれない理由の一つに、自分の考えが正しくて、その他は間違っていると決めつけてしまうところです。
その結果として、最も酷いときは、今のイラクのような事態になってしまいます。
どの宗教、宗派も、それぞれの存在を認め、否定するをせず、共存することができれば、この世界はもっと平和で調和的になることでしょう。

ついつい長くなってしまいましたが、充分な説明とは言えないかもしれません。
でも、少しでもご理解いただければ幸いです。
さて、これからも音楽家として、人間として精進し続けていきたいと思っております。
またいつの日か、巡り会える日があるといいですね。

では、、、、、
ウォンウィンツァン

自立について

  • 2006年08月25日(金)

「自立」などというテーマを掲げて、自分で中毒症状を起こしてしまったものだから、なかなか書き進むことが出来なくなってしまった。
何せこの言葉には、人を威圧するようなところがある。
誰でも一度は、親か教師など、偉そうなやつらから「自立しろ」とかいわれた経験があるだろうが、たいてい反論できないようになっている。
かくいう私も偉そうに、友人と何かのことで対立しては「お前は精神的に自立してないんだよ」なんて内心思ったりしていた。
でも、私も自立してるとは到底言い難い。
「男の自立度テスト」というのをやったことがある。
「自分で洗濯するか」「食事を自分で作って食べるか」「衣類は自分で買うか」
などの質問が続く。
惨敗である。
それまでは自分は自立していると思っていたのに、、、、
その後、自分で洗濯したりしたものの、どうも色々うまく行かない。
という訳で今は自立しないことにしている。はははh

「自立」ってなんだろうか?
考えてみるとよく解らない。
経済的に自立していても、人間不信だったり、コミュニケーションに障害があったりする。
だいたい自分が自立していると思っているヤツにたいしたヤツはいない。
それに、この世の中「自立しているな〜」などと思える人にはなかなかお目にかかれない。

そんな中にあって、私の友人には本物の「自立者」がいる。
その一人に「セルフサポート研究所」の加藤力氏がいる。
彼に聞いてみた、「あのさ、自立ってさ、なんなの、、、?」
加藤氏曰く「、、自立しているとはね、、、、サポートされやすい状態のことを言うんだよね〜、、、」
な、なるほど〜〜
「自立している」ことと「援助を得る」ことは、相反することのように思われるかもしれないが、実はその二つに矛盾はない。
この世の中に生きていて、何のサポートも受けずに生きていけるヤツなんかいない。
どんな人も何らかの形でサポートを受けている。
そのことに気づき、サポーターからのサポートを受け入れやすい心の状態にいることが出来る人は、どんどん輝いていく。
もちろんサポートに甘えてしまっては、本末転倒になってしまう。
そんな心の状態に自分を成長させるのが難しいんだけどね、、、
考えると深いものがある。

さて、もう一人、険しい困難なハードルを越えて、自らのDV体験をもとに、今は自立しようとしている女性たちを応援している友人がいる。
saya-sayaの主幹、野本律子氏だ。
同じ質問をしてみた。
「、、、自立って、律動だと思うのよね、、、」
なるほど、自分の名前を入れて来たか〜〜〜
人間の一生にはリズムがある。
子供の頃は親などのサポートを受けないと生きていけない。
成人になって、今度は人々をサポートできる時期が来るだろう。
経済的に余裕ができれば、そのお金で何らかの形でほかの人をサポートすることが出来る。
精神的に余裕ができれば、苦しんでいる人を支えることが出来る。
でも病気になれば、医者のサポートが必要になる。
老人や障害者など介護を受けなくては生きていけない人もいるしかし彼らが介護する人を癒してあげることだってあり得る。
サポートする側になったりされる側になったりの繰り返しが、人生のリズムというものかもしれない。

「自立」の話がいつの間にか「サポート」の話に変わっているが、この二つは切り離しては考えることが出来ないようだ。
もうひとつ「自立」と切り離せない言葉に「スピリチャリティー(霊性)」があると、私には思える。
WHOでは健康の定義にこの言葉を入れるべきかどうかで議論が続いている。
国々や人によってその解釈はいろいろであるが、何か大いなるもの(Something
Great)(アインシュタイン)がこのあまねく宇宙全体を司っているという「視野」を言うことが多い。
一見、無秩序で混乱に満ちているこの世界や社会、そして苦しい困難な自分の境遇や自分の内面。
しかし、「ある時」から、あらゆることが起こるべきこととして起きている、すべては調和に向かっていて、大きな流れの中に自分自身もいる、ということに考えが至ることがある。
つまり、この世界に生きとし生けるもののすべて「大いなる何者か」に生かされている、という見え方。
そのような「視野」、あるいは「展望」を獲得した時を「霊性の目覚め」と言われることが多い。
とらわれを手放し、そのSomething Greatの計らいに身を委ねて生きることが、本当の自分に出会うための道であることに、「ある時」に気づく。
そのような生き方をする時、様々な形でサポートを受けていることにも気づくようになる。
さらに言えば、この世界に一人で「自ら立っている」のではないことに気づくことが、「霊性の目覚め」であり、「自立」でもあると、私は思う。
「自立」や「サポート」は、「霊性」を生きている人にとって、ごく自然なこととして、無理なく行われていると、私は思うのだが、どうだろう。

セルフサポート研究所
http://www.selfss.jp/

女性ネットsaya-saya
http://www7.plala.or.jp/saya-saya/



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上記は、AKK(アディクション問題を考える会)の会報に寄せて執筆したものです。
AKK
http://www.akk-jp.org/index.html

霊性と繋がるために、、、

  • 2006年08月25日(金)

むかしむかし、そのむかし、、、
原始の社会では、私たち人間は神々や精霊たちと共に生きていました。
山々の神、海の神、太陽や月の神、植物の精霊たち、動物の精霊たち、、、、
風の神、水の神、土の神、火の神、宇宙神、、、、
それらの超自然的なもの、超越的なものと呼応し、交感し、分かち合いながら日々を生きていました。
厳しい大自然の中で生きていくためでもあり、また人間の根源的な要求からでもありました。

そしてより強く、より深く彼らと交わるために、人間は祭式や儀式や瞑想というものをあみ出していきます。
それらを通して神々や精霊たちが住む超越的な次元に降り立ったのです。
日常を超えて、超越世界に繋がっている意識の深淵で、神々の声を聞き、精霊たちと交わっていたのです。

そして祭式や儀式に欠かせなかったのが「うた」であり「おどり」であり「楽器をならす」ことでした。
人々は歌ったり踊ったり楽器をうち鳴らしながら、陶酔し変性意識を体現し、神々の次元に降り立っていったのです。
「うた」や「おどり」「音楽」は、人間の自我意識を拭い去り、抑圧されていた本質的な情動や、より根源的で純粋な意識を解き放つ機能を持ってます。
それらは私たち人間のもっとも根源的な衝動であり、本能なのです。

さて、現代では科学文明や合理主義が台頭し、物質文明のめざましい発展と繁栄を享受することが出来るようになりました。
大自然の驚異にさらされることも少なくなり、より安全で豊かな生活が出来るようになったのです。
そして迷信や妄想は暴かれ、それによる不合理な弊害も少なくなりました。
しかし、それとともに宗教や神話は非科学的なもの、無知なものとして、その本質的な効力を失い、儀式や祭式も形骸化してしまいます。
それは、それらが担っていた人間が健全に生きていく上で不可欠な精神的な営為や、霊性との繋がりも失ったことを意味しました。

西洋では「おどり」や「音楽」は、神々に捧げるもの、精霊と交感するものとしての役割から、「芸術」や「表現」という次元に、つまり神中心から人間中心
の世界へ移行していきました。
それと同時に芸術表現のための技術や知識の進化が可能にもなりました。
そして西洋の音楽や芸術のめざましい発展と進化は、20世紀に入って人間性を無視するほどに高度になり、空中分解するまでに至ります。
いわゆる現代アートというものから「ちから」を感じ取れるものはほとんど無いと言っていいでしょう。
しかし他方、マスメディアからは、消費欲望を喚起する装置として、日夜、大量生産された音楽や踊りが氾濫しています。
音楽はコンピュータのデスクトップ上で作るのが可能になり、演奏という音楽にとって本質的な身体行為すら無用のものになっています。

さて、以上のような現代的状況の中で、私たち人間はどうなったでしょう。
「生きている感じがしない。自分が自分に重なっていない。生きている意味を見いだせない。何かを求めているのだけど、何を求めているのか判らない。生き
づらい。不安、恐れ、怒り、などなど、、、」
これらが悪化すると、犯罪や暴力、DV、精神疾患、薬物やアルコール依存、自殺などの様々な問題として現れます。
様々な原因や要因があるでしょうが、一言で言えば「霊性との繋がり」の喪失が根本的な原因ではないでしょうか。
WHOの健康の定義に「スピリチャリティー(霊性)」という言葉を付け加えるかどうか議論が続いています。
人間が心身共に健全でいるためには「霊性との繋がり」が不可欠であることがようやく世界的に認識されつつあります。
人間が生きていく上で必要な「食事」や「睡眠」「運動」と同じように「霊性と繋がる」ことは欠かせないのです。
原始の社会では祭式や儀式を通して、たとえそこに迷信や妄想があったとしても、それが出来ていました。
しかし現代社会は、人間が本来持っていたはずの霊性と繋がる為の感受性を退化し、智慧をも失っています。

現代の人々が取りもどさなければならないのは「霊性との繋がり」です。
科学合理主義の洗礼を受けた私たちは、原始社会のような儀式や祭式を復活させることは出来ないし、そうする必要もないでしょう。
私たちは現代に見合った「新しい智慧」を創出しようとしています。
原始的な本能や衝動をよびおこす「叡智」を、新しいプログラムとして再構築しようとしています。
「うた」「おどり」「演奏」「瞑想」あるいは「いのり」を通して、失ったものを取りもどそうしているのです。

ウォンウィンツァン
2006.7.17


〜心と体といのちのセンター Holistic Space「水輪〈すいりん〉」会報誌に寄せて〜
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新車がやってきた

  • 2006年08月10日(木)

一週間ほど前、新車が我が家にやってきた。
57年の人生で初めて新車というものを購入したわけだが、、、、

今まで、新車を買いたいと思ったことは、ほとんどなかった。
お金がなかったこともあるけど、車というものをどこか忌み嫌っていたところがある。
それでも車がないと不便なことも多くなり、免許を取得したのが30代の後半で、取得して以来、今まで中古車を乗り継いできた。
最後の中古車は、確か4〜5代目ぐらいだったと思うが、車というものをあまり大事にしなかったし、奥さんが免許を取得したのがここ数年前ということもあって、最後はボコボコになってしまった。

ボコボコなのと、エンジンが3リットルで燃費が悪い、いろいろ修理にお金がかかり始めて、次なる中古車をという考えていた訳だが、いつも車を運転しながら気になっていたのが、環境問題だ。
車を使わないのが一番環境に言い訳だが、そうも行かない。
やはり次の車は環境負荷がなるべく軽いものにしたいと、常々思っていたのだ。
いろいろ調べる中、現段階ではプリウスが一番良さそうだ。
燃料電池車は、当分実現しそうにない。
で、「よ〜〜し、この際、プリウス、買うか〜〜」
以前、誰かに「ウォンさんは車にお金をかける気がないでしょう」と言われたことがあるが、私だって奮発するときがあるのだ。

注文して待つこと三ヶ月、その間に、最後の中古車のエヤコンは壊れてしまうし、バッテリーは何度も上がってしまうし、もうぎりぎり、これ以上は乗れないというところに、プリウスがやってきた。
最後の中古車は奥さんにとっては、免許を取得して初めての車だったから、想いがあったらしく、引き取られていく姿を見送りながら、ちょっとおセンチになっていたけど、、、、
今頃はしっかり廃車されて、この世に姿はないだろう。合掌

いや〜〜新車はやはりなんと言っても新車で、しかも最先端の環境技術の結晶だ。
しかも、色は「白」!!!
白馬にまたがった王子様ならぬ、白いプリウスに乗ったウォンさま、なのだ〜〜〜。
この車の最大の魅力はなんと言っても燃費だ。
エヤコンやオーディオをつけていても、なんと1リットルあたり22キロ以上走るのだ。
これはかなり感激した。

ナビゲーションシステムというのもつけた。
今時、どんな車にも着いているのだろうが、私たちにとっては初めての体験。
どんな近いところに行くにも、「この先、200メートルを右です」とか言われながら、「そんなこと知ってら〜〜」とか言い返している。
でも、どうしてこんな道を選ぶの、と思うときがあり、今はあまり信用していない。
とはいえ、初めてのところに行くときは、かなり重宝している。

それと「パーキングアシスト」というのがある。
車庫入れや縦列駐車をコンピュータが勝手にやってくれるのだ。
これにはビックリした。
しばらくはこれも遊べそうだ。
ナビに行き先を入力したら、後は車がすべて勝手にやってくれる時代がくるかもしれない。

それと、私のように音にうるさい音楽家にとって一番うれしかったのが静寂感である。
モーターだけで走るときはほとんど音がなく、「すーー」っと走るのである。
止まっているときも、エンジンが止まって、全く音がしない。
しかし、これは困ることもある。
歩行者が車に気付いてくれないのだ。
先日、近くの細い道を走っていたら、前方から盲目の方が、杖をつきながら歩いてきた。
彼が行き過ぎるまで、止まって待ってあげることにしたのだが、彼は何を思ったのか、車の目の前に来たら、いきなり杖を振り上げて車のボンネットに「ボコン」と突くではないか。
ああ、新車購入、一週間目にしてもう傷がついてしまったか〜〜〜と内心思いながらも、「大丈夫ですか〜〜、気をつけてくださいね〜〜」などと優しい言葉をかけた。
彼は「すいません〜〜」といいながら去っていった。
およそ物というものを大事にしないウォンさんも、今回は焦った〜〜。
幸い、ボンネットにはステッキのゴムがこびり付いてはいたが、傷はなかった。

そんな訳で、サトワミュージック周辺は新車騒動で、しばらく話題がつきなそうだ。