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スピリチュアルな道を歩む人の為の勘違いシリーズ

  • 2007年02月09日(金)

<スピリチュアルな道を歩む人の為の勘違いシリーズ>

スピリチュアリティーの道を歩む時、実にたくさんの落とし穴や、幻想や、いろいろ惑わされることがいっぱい。
この世界、有象無象、百鬼夜行、まるでパンドラの箱をひっくり返したような、なんでもありの世界に見えます。
そして沢山の勘違いをして、折角の霊的成長、人格的成長を大きく迂回せざるを得ないようなはめに陥っている人を、実に沢山見受けられます。
ひどい場合は、いつの間にか反社会的な宗教団体の一員だったなんてこともあります。
そんな人たちに出会うたびに、「おやおや、、でも、それぞれのプロセスだから、、、」とか言って、それほど強く言うことはなかったのですが、もうそろそろ言うべきことは言わなくっちゃね、、、
本当は自己(セルフ)の内なる声、魂の声に従っていけば、成長の道を踏み外すことはないのですが、やはりそこは人間、なかなかすんなりは行きません。
で、今回はこの業界の、様々な勘違いをあげつらってみましょう。
参考になれば幸い、、、、

○スピリチュアルに目覚めたら、すぐ幸せになると思う勘違い。
逆にカルマ(因果)の解消が早まって、かえって困難にぶつかることすらある。
でも、おこっていることを通して成長のプロセスを歩んでいるのだと云う自覚を持つことができるなら、成長のプロセスは加速される。
困難に向き合うことにより、気付きや学びがあり、はじめて成長することができる。
そして、いつか本当の幸せに至ることができる。

○自分はスピリチュアルな世界に生きるので、現実をないがしろにしてしまう勘違い。
スピリチュアリティーの気づきは今生きている現実の世界を豊かで実り多いものにする為にある。
また、現実にコミットすることを通してしか、霊性も人格も成長しない。
たとえスピリチュアルな世界にだけ生きようとしても、必ず引き戻されるようになっている。

○霊的体験が多ければ、霊格が高いと云う勘違い。
霊的体験と、その人の霊格とは関係がない。
人格が未熟な人に霊的体験がおこると、自分にはすごい霊能があるんだと勘違いして、エゴが肥大し、教祖になったり、スピリチュアルリーダーになったり、ヒーラーになったり、チャネラーになったりして、ひどいナルシズムに走ることが実に多い。
霊的人格的成長にとってナルシズムが一番大きな障害になる。

○自分は霊的に優れているので何をやっても全て正しいのだ云う勘違い。
いわゆるグル達が起こす問題は、だいたいここに起因する。
グルやスピリチュアルリーダーから性的虐待を受けた話はよく聞きます。ご注意を、、、

○霊的体験をやたら講釈する勘違い。
霊的体験を解釈することは、本来言葉にならない体験を言葉にする為、必ず間違いや、誇大な幻想を作る結果になる。
チャクラがドウタラこうたら、チャネリングがどうのこうの、どうでも良いことです。
講釈したがるのもナルシズムの成せること。
何とも言うようだけど、霊的成長、人格的成長にとってナルシズムが一番大きな障害になる。

○霊的存在の言葉を信じてしまう勘違い。
チャネリングでやってきた高次霊や宇宙人も、結局自分のエゴのフィルターを通してやってくるのだから、うのみにするのはとても危険。
もともと意思決定力が弱い人が、今まで親の言うことを聞いてきたのを、霊的存在に鞍替えしただけで、依存性そのものから脱却出来ないでいることが多い。

○自分の内なる魂の声を聞かないで、霊能力者やチャネラーや、スピリチュアルカウンセラーなる存在に依存する勘違い。
スピリチュアリティーは自分の内側にあることを忘れないでほしい。

○霊的体験は幻想だ、非科学的だと云う勘違い。
自分におこっている超越体験は、単に脳内現象にすぎないと云って否定してしまう人は実に残念。
今食べているリンゴのおいしさは単に科学現象にすぎないと言っているようなもの。
『霊的体験を通して、人は宇宙からの無条件の愛と揺るぎない信頼を感受する。』
それ以上でもそれ以下でもない。
言葉にする必要もないし、自分を疑う必要もない。
体験を体験のままにしておくこと、、、、

○人の霊格を点数で言う勘違い。
あるスピリチュアルリーダーが「あんたは70点、あんたは35点ね」なんて言っているのを聞いたことがあるが、要するに自分が人の霊格を裁定出来るのだと云うナルシズムの現れ。
この手のナルシスト・スピリチュアルリーダーは多い、、、、
未熟な自我の肥大とナルシズムは霊的成長、人格的成長にもっとも大きな障害となる。

○霊格などない、皆同じレベルだと云う勘違い。
やはり成長には段階がある。
段階を一時的に飛び越えることがあるかもしれないが、それぞれの段階を省略して先に進むことは出来ない。
必ず引き戻される様になっている。

○「あなたのオーラは美しい」とか「すばらしい気を出してますね」とか言いたがる勘違い。
これも、要するに自分はオーラが見えるとか、気を感じることができる能力があると云う自己顕示の現れ。
この手のナルシストも実に多い、、、、
時折、本当に純粋にそれを言ってくれる人はいます。
その人の言葉がエゴから言っているのか、純粋なものから発せられているのかは、波動でわかっちゃう。

○悟りに至れば苦悩はなくなると云う勘違い。
確かに執着や幻想、とらわれがなくなり、無意味な苦悩、不必要な苦しみはかなり軽減される。
でも、人間が生きていると云うことの本質的な苦しみは解消されない。
そのことに気づいた時、人は大いなる慈悲の心を持つことができる。

○悟りに至ればエゴはなくなると云う勘違い。
成長のプロセスはエゴイズムの克服にあることは確かだが、エゴがなくなることはない。
個人的なエゴから社会的エゴ、宇宙的エゴへと成長させていくことが健全な成長と言える。

○悟りに至ればエゴを解放してよいと云う勘違い。

○「悟った」と云う勘違い。
自分で悟ったと言うやつに、悟ったやつはいない。

○「悟りなどない」と云う勘違い。
「悟りなどない」と言う人はたいてい成長をやめている。
成長のプロセスを歩んでいるのだと云う確信を持っている人なら「悟りなどない」などとは思わないだろう。

○皆それぞれのカルマ「因果」を背負って生きていて、自業自得なのだから、自分には関係がないと云う勘違い。
隣人へのシンパシーがないのは健全な心が育っているとは言えない。
隣人の苦しみを自分は換わってあげられないのだと云う気付きこそが、慈悲心につながっていく。

○隣人が幸福にならない限り自分も幸福になれないと云う勘違い。
自分が幸福にならないで、どうやって人を幸福にすることができるのだろう。

○瞑想さえしていれば成長すると云う勘違い。
山にこもって瞑想を続けていて、どんなにすばらしい体験をしても、下界では瞬く間に体験は吹き飛んでしまう。
人は人間関係の中の活動を通してしか成長させることは出来ない。
人格の成長をベースになければどんなに霊的体験をしても、成長には結びつかない。
ブッダは「戒・定・叡」と云う言葉を残している。
瞑想だけではなく、戒律や叡智(気付き、学び)も悟る為には必要な要素だと説いている。

○瞑想は現実問題を解決しないと云う勘違い。
瞑想するだけで解決しまうことも結構あります。
つまり自分の内側の問題だったことに気付いたり、現実そのものが変化したり、人間関係が良くなったり、健康になったりなど、いろいろなことが変化する。
勿論、瞑想では解決しない問題もあることを忘れてはならない。

○瞑想しなくても霊的成長できると云う勘違い。
「私は瞑想しなくても、宇宙とつながっていることができるのよ」と言う人がいるが、大きな勘違い
霊的成長に瞑想はかかせない。
あのブッダですら瞑想を通して悟りに到達したのです。
ブッダは口を酸っぱくして弟子達に瞑想を薦めました。
小説を書く為には言葉の勉強が必要、体操選手になる為には肉体訓練が必要、霊的成長をする為には瞑想は必須。

○いわゆるニューエイジ言説をうのみにする勘違い。
言葉と云うものは必ず多面性を持っていて、使い方を誤ると落とし穴に落ちる。
「ワクワクすることしましょ」といって欲望に身を任せちゃう人。
「とらわれから解放する」といって我が儘になるだけの人。
「素直になる」といって人を傷つけてしまう人。
「ありのまま」といって現状維持で何もしない人。
「ポジティブ・シンキング」といって現実を直視しない人。