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数日前、iPhoneを買ってしまった。
その日からiPhone漬けになってしまった。
この数日間、昼も夜もiPhoneが私の頭を占領していた。
一つのことをやり出すと、他のことがそっちのけになる。
お陰でかなり使える人になってしまった。
物事にハマリだすとハマってしまうタイプだ。
「熱しやすくて冷めやすい」と言われたことがあるが、自分自身もそう思ってきた。
でも、よく考えてみると、そうとばかりは言えない。
ハマった後、長続きするものと、しないものがある。
一番長続きしたのは、音楽と奥さんかな、、、
それと瞑想、、、、
写真も長くハマったけど、今はそれほどは熱くならない。
それでも写真には、今でも想いはある。
5年ほど前から、トランスパーソナル心理学にはまっている。
対象が人間だもの、飽きようがない、、、、
自分は飽きやすい人間だと思っていたが、こうして考えてみると、結構長続きしているじゃないか、、、、、、
まあ、飽きてしまったことが多いので、そう思ったのかな。
逆に言えば、ちょっかいを出した物事は、かなり多いと言うことか。
好奇心がおおせいなのかな〜〜
逆に、長続きしなくて、もうどうでも良くなったことも沢山あるので、飽きやすい人間だと思ったのかもしれない。
iPhoneも長くはないのだろうか。
iPhoneはMacと相性が良い。
(ハンバーガーではない、マッキントッシュ・コンピュータのことだ。)
同じapple社が作っているのだから当然だ。
Macとは30年ぐらいの付き合いだ。
機械だからすぐ飽きるとは言えない。
いや、Macには相当はまった。
だからiPhoneが発表されたときにすぐハマっても不思議ではなかった。
でも、ハマらなかった。
一言でいうと、ミーハーになるのが嫌だったのだ。
そう言えば、初めて携帯電話を買うときもかなり躊躇した。
やはりミーハーになるのが嫌だったと言うこともあるけど、携帯電話によって人と繋がりやすくなって、否が応にも対応しなくてはならなくなるのではという危惧があった。
つまり自由でなくなることが嫌だった。
でも、結局、携帯電話をそんなに使うことにはならなかったし、むしろ恩恵に預かることの方が多かった。
要するに携帯電話に使われることにならなければいいのだ。
人が自由でいられるかどうかは、結局その人次第なのだ。
iPhoneによってインターネットに繋がりやすくなり、新たな恩恵を得ることができる。
これからの音楽家とオーディエンスの関係は、インターネットを介して、新たな流れが出来てくると、私は思っている。
そんなことも視野に入れながらiPhoneを入手した、と言いたいところだが、ただの物欲だったかな、、、、
<組み立て作業、音楽は煩悩、そしてレクイエム>
昨日、プレス工場から新譜が届いた。
届いたと言っても、ケース、CD盤、印刷物がバラバラになった状態だ。
結局11月22日までには間に合わないことが判り、組み立て作業前の状態で、とりあえず300枚分だけを納品してもらったのだ。
そして、なんと美枝子さんが一人黙々と、一日がかりで組み立て作業をやった。
美枝子さんという人は、本当にすごいといつも思う。
CDの組み立ての様な、単純作業を長時間、やり続けることが出来ることに、私には驚異に思える。
単純作業を卑下しているのではない。
相当な根気と体力がいるのだ。
私には絶対出来ない。
途中で必ず挫折するだろう。
結局、美枝子さんは300枚分の組み立て作業を、一日がかりで終えてしまった。
「ある種、瞑想なのよね、、、」と軽々と言ってのけた。
確かにそうなのかもしれないが、やはりすごい。
以前、「五体投地」を一日で3000回達成に挑戦すると言い出したことがある。
「五体投地」とは、チベット密教のもっとも過酷な修行の一つだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/五体投地
私は引き留めはしなかったが、やはり相当心配になった。
ともかく、無理だと思ったらすぐやめること、終わった時点で連絡をください、と言うことだけは言い伝えておいたが、、、、
電話が来るまで、やはり、気が気ではなかった。
夕方になって電話があり「やったわよ〜〜」と元気そうな声を聞いて、ホッとしながら、つくづくすごい人と結婚したものだと、感心するやら呆れるやら、、、、
ともかく11月22日のリリース日に間に合うべく、とりあえず300枚の確保は出来た。
一枚目に組み立てられたCDを美枝子さんから手渡された。
でも、あまり嬉しさが湧いてこない。
あんなにもエネルギーを濯いだのに、こうやって形になってしまうと妙にあっけない。
居間にある小さなオーディオコンポで聴いてみた。
なんともつまらない。
BGMとして聴いただけからかもしれないが、、、、
こんな音楽に何の価値があるのだろうか、と思ってしまう。
レコーディングを始めてから今日まで、いったい何度同じ曲を聴いてきただろうか。
一生分聴いてしまったので、もう感動が湧いてこないのかもしれない。
あまりにも沢山聴きすぎて、音楽を客観的に評価することが出来なくなっている。
ミックスダウンはこれで良かったのだろうか、、、
最後の詰めが甘かったのじゃないだろうか、、、、
パッケージとして完成した今もまだ、これで良かったのだろうかと考えて、手放せないでいる。
ああ、音楽って、要するに煩悩だよな〜〜〜
煮え切らない気分を抱きながら、私は淡野弓子さんと武久源造さんのコンサートに出かけた。
http://www.musicapoetica.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/武久源造
ムジカ・ポエティカは毎年末頃、<レクイエムの集い>〜魂の慰めのために〜というコンサートを施行している。
会場は、なんとストリングスをレコーディングした風のホールである。
CD「光の華」が誕生したその日、レクイエムを聴きに行く。
それは私にとって、何か深い意味があるような気がしてならない。
「光の華」や12月のコンサート「永遠の約束」が、命というものをテーマにしているからかもしれない。
「命」と言うものを考えるとき、「死」と言うものを排除するわけにはいかない。
今年は源造さんの作曲したカンタータ「創造」が演奏された。
その曲は聴いたことがなかったので、とても興味を持っていた。
「創造」は旧約聖書の「天地創造」をテキストにしている。
第一日目、神は言われた。「光あれ!」というあれである。
それらのテキストを現代音楽の様々な語法や技法を駆使して、聴くものを飽きさせない。
26名のハインリヒ・シュッツ合唱団の声の渦や風や響きがホールを満たし、いつしか私は、まさに天地創造を再体験しているような気になっていった。
カンタータ「天地創造」をレクイエムとして演奏したのは、淡野さんの機知だろうか。
「創造」は、それ自体で「死」をも包含されているだろうから。
コンサートが終わり、私は淡野さんや源造さんへお礼もそこそこに、帰路についた。
車を運転しながら、不思議な気持ちになっていた。
なにか合点がいったわけでもないし、納得したわけでもないし、吹っ切れたわけでもないし、承伏したわけでもない。
ただ、このままでいようと思った。
自分の内側で起きているこの捕らえどころのない感覚を、そのまま味わっていようと思った。
感じているものを、大事にしてあげたかった。
感覚が湧き上がるその向こう側には、かすかな「かなしみ」のようなものもあったかもしれない。
今、この文章を書きながら、CDケースを手に取ってみた。
美枝子さんが書いた題字「光の華」の筆致には、ある無垢なものと、危うさのようなものがある。
バラの花びらの怪しげな色合いと相まって、とても美しい。
それでいい、と思った。
音楽に飢えていたのか、やたら聴いている。
気がついたら朝になっている。
録画してあったカルディア・ヴィロドスというピアニストのモーリス・ラベル作曲「優雅で感傷的なワルツ」を聴いた。
陰影の深いとても良い演奏だった。
とびきり大好きなラベルだが、ワルツ曲は今ひとつ好きでなかった。
でも、この数年、開眼して「ラ・ヴァルス」や「優雅で感傷的なワルツ」など良く聴くようになた。
ラベルにとってワルツという音楽スタイルは、彼の和声センスを表現するのに格好の材料だったのかもしれない。
とくに「ラ・ヴァルス」を聴くと、退廃性や狂気性と、優雅さや艶やかさとの対比が見事で、思わず息をのむ。
ナクソス(音楽配信サービス)でパウル・ヒンデミットの弦楽四重奏曲第2番を見つけた。
高校時代に「画家マチス」とこの曲を取り憑かれたように聴いた。
レコードプレーヤですぐ聴けない状態になってから、すっかり忘れていた。
時々思い出してCDを探すのだが、マニアックな曲のせいか見つからなかった。
ふと思い出して、探したら、あった〜〜
改めて聴き直して、やはりすごい曲だと思った。
頻繁に転調があって、込み入った曲だが、調性の壊れ具合が自分のセンスに会うようだ。
どのモティーフも印象的だし、それぞれの展開も構成も素晴らしい。
ジュリアード四重奏団の演奏もすごい。
チャールズ・ローゼンというピアニストが書いた「ピアノ・ノート」という本を読んでいたら、ストラビンスキーの春の祭典のピアノヴァージョン(四手の編曲)を高く評価していた。
「春の祭典」も高校時代に取り憑かれていた。
早速、ナクソスで見つけて聴いたけど、これはすごい。
オーケストラ曲をピアノに編曲したものって、音色感がつまらなくなってしまうと思っていたが、これは全くそんなことはなく、それぞれのモティーフがかくも鮮やかに再現されていて、ピアノという楽器の音色表現の可能性を堪能することが出来た。
私のクラシック音楽の興味はとっても狭い。
バッハを除けば、あとは印象派以降の限られた作曲家のものだけ。
しかも高校時代に聴いたものを今でも聴いているというのは、進歩がないのかな〜〜
ま、今でも新鮮な気持ちで聴けていると言うことは、得な性格かも、、、
音楽三昧の真夜中だった。
CDの制作中は、ほとんど自分の演奏以外の音楽を聴くことが出来ない。
制作が終わったとたん、いろんな音楽が聴きたくなる
身体が、もう次のステップに入っているのかもしれない。
昨夜は武満徹のオーケストラ曲なんか聴いていた。
今日、なにげにBSテレビを見ていたらピレシュが放映されていた。
ちょうどベートーベンのピアノソナタ第31番を演奏していた。
マリア・ジョアン・ピレシュは歌心のある、私の大好きなピアニストのひとりだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マリア・ジョアン・ピレシュ
NHKの彼女のピアノワークショップを見たことがあるが、このアーティストの考え方にはとても共鳴するものがある。
http://happano.blogspot.com/2008_10_01_archive.html
さて、ベートーベンとはあまり縁のない私だが、ピレシュの演奏に引き込まれてしまった。
第31番も初めて聴いた。
特に引き込まれたのは第三楽章の叙情性の深いメロディー部分だった。
「嘆きの歌」と呼ばれいる箇所だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノソナタ第31番_(ベートーヴェン)
晩年のベートーベンがたどり着いた境地なのだろうか。
その精神性の深さに、しばし時を忘れて聴き入った。
この箇所を他のピアニストがどのように演奏しているのか知りたくなって、ナクソス、ミュージック、ライブラリーでいろいろなピアニストの演奏を聴いた。
ナクソス、ミュージック、ライブライリーとはクラシックを中心とする膨大な音源が聴き放題の、インターネット音楽配信サイトだ。
http://ml.naxos.jp/
当たり前の話だが、この曲もピアニストによって実に様々な解釈があるようだ。
あれこれ聴いている内に「自分だったらどう演奏するだろうか」
やはりピアニストの端くれとして、演奏したくなった。
勿論テクニックなど皆無だが「嘆きの歌」の部分だけなら、何とか演奏できそうだし、、、、
楽譜を引っ張り出してきて、まずはアナライズ、、、、
ナクソスで演奏をいろいろ聴きながら、楽譜にコードを書き込んでしまう。
音譜は読めないけど、英語なら何とか読める、と言うこともある。はははh
和声進行がどのようになっているか解析することも出来る。
メロディーの特徴は、前の和音の構成音が、次の和音にまで保留されたり、逆に先行させたりすることによって、ある種のテンションノートのようになっている所だろう。
何度か演奏しているうちに、この曲は嘆きではない、そう思い始めた。
悲しみかもしれないけど、けっして嘆きなどではない。
ベートーベン、この巨星の晩年に巡り合わせてくれたのは、ピレシュのおかげだ。
彼女の演奏なくして、私はこの曲が放つ光を見つけることは出来なかっただろう。
ニューCD「光の華」について
<収録曲>
1.「旅のはじめに」
これはNHKスペシャル「にっぽん紀行」のテーマ曲。
番組は老若男女、様々な人たちが、それぞれの課題に取り組みながら、成長していく様を取材した、とってもハートウォーミングなドキュメンタリー。
私たち夫婦は今年、なんと還暦!
そんなことも含めて、新たな旅立ちに贈る曲にしたいと思い、タイトルを「旅のはじめに」としました。
2.「イルカの星」
敬愛する絵本作家、葉祥明氏の同名の絵本がビデオ化されたときに、依頼されて作曲した中のテーマ曲。
熊本県警が、犯罪被害者の子供たちを癒すために作ったビデオなので、一般公開はされていないかもしれません。
3.「灯明香華」
4.「光ふる路」
これらはある宗教団体の式典のために依頼されて作曲しました。
以前、コンサートでこれらの曲を演奏したときに、その宗教団体の名前を言ったら、私がその宗教の信者と間違われたり、他の宗教の信者さんからお怒りのお言葉をいただいたりしました。
宗教がらみはとても誤解されやすいですね。
私自身はどこの宗教組織にも所属していません。
音楽は、人間が規定したがる境界を越えて、人々の心に届くものだと信じているわけです。
5.「想いの糧」
ヌース理論という独自の宇宙理論を展開している半田広宣氏に依頼されて、彼の会社が販売しているサプリメントのために作った曲。
タイトルは半田氏自ら命名されました。
6.「白詰草の丘で」
この曲は映画「純愛」のテーマのために作った2曲のうちの選ばれなかった方。
この曲を演奏していると、ある女性の面影が浮かんでくる。
なので、その女性の贈りました。
誰だかは内緒です。ふふふ
7.「風の夢」
これは「にっぽん紀行」の為に作った2曲のうちの選ばれなかった方。
テーマ曲を依頼された場合、先方の要請で数曲作曲する場合があります。
その時に選ばれなくても、やはり故あって誕生した曲ですから、ちゃんと世に出してあげないとね。
8.「Bell Tree Song」
これは3.や4.と同じ団体のために作った曲ですが、タイトルを改めて、やはりある同じ女性に贈りました。ふふふふ
私はよく人の名前を英語に訳してタイトルにすることをよくやります。
9.「嵐の大地」
10.「物語の終わりに」
映画「純愛」のプロローグとエンディングテーマ
サウンドトラックは映画のためにサイズなどが制限されますので、改めて演奏しなおしました。
11.「Bell Tree Song Slow version」
曲というものはテンポによって、その表情や色合いが大きく変化します。
曲の解釈は、どのテンポを選ぶかと言うことが一番大きなファクターだと思います。
CDの最後は、ゆったり、たゆたうテンポで終わりたかったわけです。
「はい、お休みなさい」
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<レコーディングの経緯>
レコーディングは今年の1月から始めました。
曲はとっくに作られていたし、もっと早く始めたかったのですが、なかなか状況が許さなくって、、、
当初は3ヶ月ぐらいで仕上がると思っていたのですが、なかなか良い演奏が出来ない。
作曲はせいぜい一週間もあれば出来るのですが、演奏はとても時間がかかります。
ようするに演奏能力がないので、時間をかけざるを得ないと言うことですね。
結局、OKテイクが録音されたのは8月の中旬のテイクと、9月上旬のテイクでした。
録れ始めると一気に録れるんですが、、、、
相変わらず、皆さんにお待たせしてばかりで、すいません。
CDを制作を始める段階では、どのような仕上がりになるのか、はっきりしたイメージを持っていることは、まずありません。
録音が始まってから、色々インスピレーションがやってきて、徐々に全体像が見えてくるといった感じです。
生のstringsをオーバーダビングすることを思いついたのは、8月の中旬です。
業界の仕事をやっていた頃は、結構stringsアレンジをよくやっていたのですが、「フレグランス」以降、自分のCDに生のstringsを使うという発想はありませんでした。
だいたい、彼らを雇うと相当な金額になります。
そこそこの自動車が買えてしまう金額なんですね。
それでもやろうというのは、もうほとんど無謀というか、道楽というか、、、、
ま、宇宙からのインスピレーションを真に受けてしまったというか、はははh
もちろん、CDさえ売れてくれれば、お金のことは何とかなるでしょう。
ストリングスの録音エンジニアは、さすがに素人の私には出来ない。
そこで起用したのが赤川新一氏。
彼は、私が建てる予定の個人スタジオの意見を聞くために、ヴァイオリニストの金子飛鳥さんに紹介してもらった方でした。
これもあるインスピレーションがあって、彼の音を全く聞いたことがなかったにもかかわらず、いきなりお願いしてしまった。
直観というものは怖いもの知らずですね。
そしてストリングスのオーバーダビングスタジオを探しているうちに、スタジオなんかで録音したくなくなってしまった。
今までの経験では、スタジオと言うところはろくな音にならない、、、、
で、レコーディングを響きの良いホールでやることを思いついた。
コンサートホールというものは、だいたい半年以上前に予約を入れないと押さえられないのですが、私のイメージにあった「風のホール」がなんと都合良く、9月30日に空いているではないですか。
会場のメインテナンスのために空けてあったが使っても良いと言うのです。
しかも売れっ子の超多忙な赤川氏も、ヴァイオリニストの篠崎マサ氏もスケジュールが空いていると言うではないか。
これって宇宙に見守られているってことですかね、、、。
篠崎マサ氏は、スタジオ業界で超売れっ子のトップヴァイオリニスト。
お兄様はNHK交響楽団でコンサートマスターという、音楽家族。
私が業界で仕事をしていた頃によくお願いしていた。
その後、一緒に仕事もしたことなかったし、会うこともほとんどなかった。
でも、今回、彼にお願いすることを決めたのも、やはり直観というやつですね。
しかも彼が集めてくれたメンバーは、一人ひとりがそれぞれ独自に活動されていて、最高のメンバーになりました。
本当に素晴らしかったです。
さて、9月上旬、何とかピアノパートの録音を終えられて、それから30日のstringsのオーバーダビングまでのこり20日間で、全11曲を一気にアレンジしてしまいました。
ピアノパートの録音はいつ終わるか、先の見えない作業ですが、作曲とか編曲はやれば終わる、力仕事なんですね。
さて、30日のたった一日で、11曲をストリングスを全部録音し終えることが出来るとは、私はもちろん、赤川さんも、エイジェントも思わなかった。
ともかく出来るところまでやろう。
出来なかったら、その時はその時、無理に急いでつまらない録音にはしない、とまで考えていたものです。
9時録音機材のセッティング、11時にレコーディングスタート、食事や休憩を交えながら、何とか夜の9時までに9曲録音できれば良いかな、とぐらいに思っていたわけです。
ところがいざ始めてみたら、なんと7時には全11曲録音し終えてしまった。
メンバーがどんなに優秀であるのかがよく解りますね。
ちょっと自慢するなら、私のアレンジが完璧で、問題がなかったと言うことですね。はははh
ちなみに、一曲「嵐の大地」のアレンジは美音志君です。
彼は初めて生のストリングスのアレンジをやったわけですが、是非聴いてみてください。
さて、このレコーディングでは面白い実験もしてみました。
ピアノは狭いサトワ・スタジオで録音したので、残響成分というものがありません。
音楽にとって残響は重要な要素ですから、普通はコンピューターや機材を使って、人工的に付加するわけです。
でも今回はそれをせずに済んだのです。
ストリングスの録音が早く終わったので、ふと思いついて、つまり直感が働いて、「スピーカでピアノを鳴らし、ホールの響きを録音してみたい」と提案したのです。
赤川氏も直観人間ですから「お、それやってみよう」とすぐに反応。
それが実に素晴らしいサウンドを作ってくれたんですね。
人工的な処理では得られない、透明で豊かな残響成分を録音することが出来たのです。
おかげで今回のCDはピアノもストリングスも実に美しい響きがしていて、今までにないサウンドになりました。
ようやく「サトワミュージックサウンド」というものが確立したかな、、、、
ミックスダウンは赤川氏のスタジオで、のべ三日間かけて、昨日10月27日にほぼ満足のいく形で終えました。
当初は一日で終えようと思っていたのですが、それは無理というもの、最低でも三日間はかかりますね。
さて、ミックスダウンの一日目ぐらい、ストリングスをオーバーダビングしたサウンドを聴きながら、私は何か大切なエッセンスが伝わりにくくなっていることに気づきました。
ストリングスをオーバーダビングすることによって、曲が持っているイメージはふくらみましたし、サウンドもゴージャスになったのですが、ピアノのもっともシンプルなサウンドが持っている、何か大切なエッセンスが見えにくくなってしまったのです。
私は焦りました。
あれだけお金をかけて、時間も労力もかけて、もっとも大事にしているものが伝わりにくくなってしまったら、今までいったい何をやったのか、なんの意味もなくなってしまいます。
そのことは美枝子も感じていました。
そこで美枝子さんが「二枚リリースしたら、、、」
そうか、ピアノ・ソロ・ヴァージョンのCDも作ればいいんだ。
つまり二枚組にして、piano+stringsのCDと piano soloのCDを作れば良いではないですか。
実に単純で我が儘な発想ですね。
美味しいものを、どちらか選べと言われたら、どちらも頂きます、はい。
もちろんそれだけお金もかかりますが、大したことではなさそう。
これならオーディエンスも、その両方を聞き比べて楽しむことも出来ます。
こんなCDは世の中にはなかなか見あたらないですよね。
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<CDのタイトルとジャケットアート、そして詩>
CDのタイトルは、やはり重要ですね。
当初から美枝子さんにはイメージがあって、「散華」とか「昇華」など、「華」という言葉を使いたいと言っていました。
美枝子さんは花大好き人間ですからね。
また、数年前に京都法然院の展示会に提出した、いくつかの花の写真を素材にデザインすることも美枝子さんの提案です。
その花の写真は、ダリヤを後ろから照明をあてて撮影したものやバラの写真を、コンピューター上で反転処理したもので、まるで光が内側から放たれているようなイメージです。
美枝子さんはそれを再構成して、さらに美しいイメージを織り上げました。
ジャケットはまだ出来ていないのですが、12月12日のコンサートのチラシのアートデザインに同じ作品が使われているのです。
まるで光の粒子が花の形を彩っているような、光そのものが花であるような、そんなイメージが広がる作品に仕上がってきました。
そうこうしている内に漸くなにか腑に落ちるものがありました。
曲というものをどう光らせるか、音楽をどう輝かせるか、それが私の仕事だと思っているわけです。
そして、曲というものは一輪の花なのではないか。
「音楽とは、光が織りなす華なのだ」
そう言う思いに至ったとき、CDのタイトルは「光の華」なったのです。
ほんの数日前に決まった話です。
題字は美枝子さんの書です。
実に素晴らしい筆致なのですが、どうやって書いたのかと聞いたら「手では書いていないのよね〜〜」というお答え。
え〜〜では、いったいどうやって、、、、、謎です。
ジャケットデザイン上、詩のような短い文章が欲しいという美枝子さんからのオーダー。
私は詩人ではないし、そんな才能もないのですが、何とか書いてみようと、、、、
ある超越的な体験を元に、書いたのが以下の詩です。
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<光の華>
ついに見つけたぞ、光の華、、、、
神秘に繋がる、光の鍵、、、
それは、光の国の母からの祝福、、、、
きらめき、ゆらめく、花びら散らし、、、、
光の華、泣きながら胸に抱いて
生きることを決意した、あの日、、、、
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さて、リリース予定日、11月22日は私たち夫婦にとって34回目の結婚記念日。
紆余曲折、七転八倒、何度かの危機を乗り越えて、何とか別れもせずに、無事今日までやってこれました。
奇跡ですね。
今回のCD「光の華」は、還暦の私たちの新たな旅立ちを、自ら祝福するためのエールになりました。
惚気ているわけではありません。
夫婦関係は修行の場。
美枝子に言わせれば「結婚、これ道場!」です。
残りの人生、何があるか判りませんが、私たちが出来ること、やるべくことを十全にやりきりたいとおもっております。
どうか、最後まで、応援、お付き合い下さりますよう、心からお願い申し上げます。
2009/10/29