昨日は、新宿副都心にある東京都庁に行って、免許の更新をしてきました。
実は都庁に行ったのはこれが初めて。
ひえ〜〜〜なんだ、この建築物は〜〜〜
巨匠丹下健三によるデザイン、、、、
あまり私の趣味ではないです。
こんな建築物にお金をかけるんだったら、もっと違うことに使ったら〜〜などといまさらながら、思っちゃいました。
目白にあるカテドラル教会は結構好きなんだけどな〜〜
さて、免許の更新は以前に比べてとってもスムーズ。
ただおかしかったのは、視覚検査の時。
検査機械をのぞくと、そこに英文字でCと書いてある。
検査員の方が「、、、、ですか?」と聞いている。
ちょっと発音がはっきりしなくて何をいっているのかよくわからなかった。
そこで私はおもわず「Cです」と答えてしまった。
そしたら検査員の方が「なかなかいいですよ〜〜」とまた訳のわからないことを言っている。
私は思わず「あの〜〜どういうことなんでしょう」と聞くと、相手もあきれたような、うろたえているような。
ようやく合点がいって、要するにCは「右」と答えればよかったのだ。
ということで適性試験も何とかクリアー。
無事、更新ができました。
免許更新での講習会では、事故の恐ろしさなどのビデオを見せられる。
私の運転は、一応免許状では「優良」ですが、やはり慢心してはいけません。
交通事故が起こってからでは、その後、とても辛いことが待っています。
これからも心して運転することにしましょう。
今年9月に佐世保にある自動車学校が私のコンサートを主催します。
そこは全国で初めて障害を持った人のための講習を開いた学校です。
コンサートの収益は、主催者の意向で交通遺児のためのチャリティーにすることになりました。
実は免許を取得したのは、40代近くになってから。
20代に取得しなくて正解。
あの頃の自分の人格を考えると、とっても危険すぎました。
いやいや、取得した後も、あわや事故という場面が何度かあり、思い出すと冷や汗が出ます。
みなさんも運転はくれぐれも慎重に、、、、、
NHKからお声がかかった。
オーダーをいただいたのは2月の上旬。
なんと午前中の10時に担当プロデューサがわざわざサトワミュージックにお越しくださった。
午前中にミーティングなんて初めてかも。
NHKの音響プロデューサは相当働いている、ってかんじ、、、
さて、内容は「春・にっぽん紀行」のテーマ、エンディングテーマ、など、、、
2〜3曲候補を提出して、総合プロデューサのお伺いをいただくことに、、、
いや〜〜最近ほとんど作曲してなくて勘が働かないし、写真展やら、納骨やら、実務仕事やら、あたらしいCDの仕上げやら、なにやら忙しくて、なかなか手につかない。
録音は3月14日決まっているから、少なくとも3月に入ったら提出せねばならない。
結局作業に入ったのは3月1日、、、、
作曲も様々なやり方があるのだが、困ったときに採用する方法でやることにした。
ひとつのイメージで即興演奏したものを録音し、それを楽譜に起こして、それぞれのメロディーを吟味し、再構築して、一曲に作り上げる。
楽譜に立ち上げるのが面倒くさいのだが、確実に曲を仕上げることが出来る。
3月3日には2曲、mp3にして担当の音響プロデューサに送ることが出来た。
このような作曲法は、イメージするその世界観や情景というものが大きく作用する。
逆に言うと自分の内側から出てくるものしか出てこないわけで、最初のイメージがとっても大切になる。
自分が持つイメージの限界という問題もあるし、2曲作曲し終えて、もっと他にイメージがあるのでは、という思いがいつも残ってしまう。
口頭と文章の打ち合わせだけで、映像を見ているわけではないので、映像との絡みで果たしてこれで良いのかどうか、という不安はいつも残る。
幸い、とても気に入ってもらえたようで、最初に作った曲が採用された。
また、2曲目の持つ世界観にも共感いただいたようで、アレンジの段階でそのようなものも含んだものにしたいというお話だった。
一曲目は、語りかけるような応援歌、、、、
二曲目は、遙かなる健気さ、、、
さて、次なる作業は、その曲を、オープニングやエンディング、あるいは告知用、そしてシーンに使える曲想に、テンポやサイズ(展開)、オーケストレーションのサンプルを作って、実際に映像にフィットさせていく。
近年のIT技術は、これらの作業を実に効率化してくれた。
音楽製作のためのコンピュータソフトとインターネットのおかげで、作曲家とプロデューサ、関わっているクリエイターの全員が、直接会うことなく、共同作業の中でイメージを共有することが出来る。
コンピュータ上でサウンドをシミュレーションし、それをmp3にして、メールでプロデューサに送り、それに対して電話やメールでいろいろやりとりしながら作業を効率よく進めることが出来るようになった。
本当に便利になったものだ、、、、
このやりとりはとっても楽しかった
特に面白かったのが、最初のサウンドサンプルをプロデューサさんが聴いて、「ウォンさん、これって何か歌謡曲みたい」とだめ出しをいただいたことだ。
すかさず私は「J-Popって言われたかったな〜〜」ははは、h
私も今は58才。
しっかりおじさんというか、ははh
まあ、私の音楽はどちらかというとスタティックなものが多い。
でも、私の中には、昔取った杵柄で、ロックやソウルの影響がしっかり残っていて、そういったサウンドを今回試して見たいと思った。
映像のコンセプトとしてはより若い人向けと言うこともあった。
でも、先方はどちらかというと私の音楽の持つ内面性みたいなものを望んでいたのだ。
これは当然と言えば当然なわけで、プロデューサーさんのツッコミは的を得ている。
私ぐらいの歳になると、ツッコミを入れるのは家族ぐらいしかいなくなってしまったので、プロデューサさんのこのツッコミは、なかなか楽しかった。
実際にはサウンドサンプルを6タイプも先方に送ることになったのだが、クリエイター皆が納得し、イメージを共有できたし、そのおかげでスタジオに入ってから錯綜することがない。
今回の仕事も「家族の肖像」の音響プロデューサ、佐々木さんの紹介だが、彼は本当に人間的に熱いな〜〜
担当のプロデューサは小野さおりさん。
後で聞いた話だが、この方もNHKでは大御所のようです。
音大ピアノ科卒業だそうで、なかなかの辣腕、、、、
的確にプロデュースされてしまったのでした。
さて、録音の段階になったわけですが、ピアノのパートだけはNHKのスタジオではなく、satowa musicスタジオで先に録音しておくことにした。
当初はすべての演奏者が一堂に会して「せぇーの」で録音しようと思っていた。
それが本来の音楽のあり様なわけだが、近年はマルチ録音が主流で、おかげでひとつひとつの録音をきめ細かく丁寧に積み上げることが出来るようになった。
しかし逆に、皆で一緒に演奏する喜びなり楽しみもなくなってしまった。
そこで今回は、我が儘を言って、N響などが録音に使うNHKの一番大きなスタジオ、509stを使わせてもらうことにして、すべての楽器が同時に鳴る醍醐味を味わうつもりでいた。
でも、しかしそれは、ちょっと無謀かもしれないと気付き始めたのだ。
アレンジャーが自ら演奏し、指揮もし、サウンドプロデュースもし、すべてをトータルに意識を向けながら、自分の望む音楽に仕上げて行くには、能力を超えている。
特にピアノがメインになるわけで、全能力を演奏につぎ込みながら、他のことにも細心の注意を払う事など出来るわけがない。
実際、NHK509stで録音を始めた時、その判断は正しいと思った。
今回、演奏に参加してくれたメンバーは、ベース、斉藤誠氏、ドラム:市原康氏、そして金子飛鳥ストリングス(18人)のメンバーだ。
一言で言えば実に楽しかった。
皆、より良いものを作りたいと思って参加している。
私がイメージしているものを、演奏者それぞれが具現しようと頑張ってくれた。
ひとつひとつ音楽を築き上げていくプロセスを私もそこに参加している皆も、心から楽しんだ。
演奏のきめの細かいアプローチを、丁寧に音にしていった。
あっという間に時間が過ぎていった。
皆が音楽をやっている手応えを感じていた。
スタジオは明るい笑顔で一杯だった。
やはり、音楽っていいな〜〜〜
後は映像とどのような出会いが待っているのか、楽しみだな〜〜
さて、3月の26日27日28日の三日間、NHK総合テレビの夜の7時半から30分
「春・にっぽん紀行 出発(出発)」
主人公は独り立ちする若者たち。
それぞれの壁を乗り越えようとする姿を描くドキュメンタリー。
是非ご覧あれ!
たぬき!?
昨日の朝、なにげに庭を見ると、猫が横切ろうとしている。
この近辺をテリトリーにしている三毛猫が、いつも我が家をわがもの顔で横切って行く。
三毛の境界線がちょうど顔の真ん中なので、何ともおかしい。
猫好きのスタッフが「ブサコちゃん、ブサコちゃん」と言いながらかわいがっている。
「ブサコかな」
あれ、あれれれ!ブサコじゃない。
いや、猫じゃないぞ、いやいや、犬でもないぞ。
顔がとがっている。
「た、たぬき、、か〜〜!?」
体つきはちょっと太った猫のようで、尾っぽはふさふさしていて、それほど機敏そうには見えない。
私は目を疑った。
本当に疑った。
「やっぱり君は、たぬきなのか〜〜?」
なんで東京のこんなところに?
野性味は感じられない。
もしかして近所で飼われていたのが脱出したのかもしれない。
庭をゆっくり注意深く横切りながら、ふと私と目があった。
キョトンとしている。
わたしだって、キョトンとしている。
キョトンとしながら見つめ合った。
何とも言えない時間が漂った。
ふと、自分が写真家の卵であるのを思い出した。
「しまった、カメラを手元に置いておくべきだった〜〜」
私は写真家魂の未熟を恥じた。
もう動けない。
動いたら逃げられそうな気がした。
いや、もうカメラのことを考えたとたん、彼との出会いはもう終わっている。
たぬき君は視線を外して、周りをきょろきょろしながら庭の向こう側にきえていってしまった。
たぬきの仕草や表情は何とも可愛く、あどけなく、人なつっこい、、、。
「ああ、お友達になりたい」
やはりお友達にはたぬきだ。
君のような野性味のないたぬきが生きて行くには東京は厳しすぎる。
心配だな〜〜
きっと又戻ってきてくれる。
戻ってきてくれるに違いない。
これから庭を横切る猫を見るたびに、たぬき君かもしれないと想うだろうな〜〜。
最近ここも随分とさぼっているので、CD「純愛」のライナーノーツで、ちょっとお茶を濁したりして、、、
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<音楽制作が導くもの>
「映像」と「音楽」の出会いは、いつも強烈で激しい。
監督はたいがい、音楽を想定して撮影や編集をしている。
未だ聞こえぬ音楽にイメージを託して、彼の仕事を貫徹する。
「映画」を、ある種の「音楽作品」と感じている監督は非常に多い。
音楽を「映画の隠された主人公」と言う監督もいるほどだ。
私たち音楽家は「映像」を何度も見ながら、透明な絵の具で塗り込められたメロディーやハーモニーやリズムを解読する。
時には、監督自身も気づいてない、映像の奥底に内在する「音楽のエッセンス」を音楽家は見いださねばならない。
映像には見えないものも映し出されているのだ。
「映像」と「音楽」が出会ったとき、そこに創出されるイマジネーションが、私たちが予想している以上のものであったとき、無類の喜びを得ることになる。
監督は編集した作品を、まず音楽家に送ることになる。
つまり音楽家は監督以外の最初の観客になる栄誉を受けることになる。
音楽の制作はまず何度も映像を繰り返し見るところから始まる。
映像に写っている隅々まで見逃してはならない。
一回見たぐらいでは見過ごしてしまう小さなアイテムまで、監督という人はこだわって写していることが多い。
その小さなアイテムにこそもっとも大切な想いを託していることがある。
監督の想いを自分の想いとして引き受けて、はじめて生きた音楽が作られる。
おかげでこの映画「純愛」を一番多く見て、理解しているのは私たちだと自負できる。
主演や助演者たちのちょっとした立ち振る舞いや、主要な台詞、あるいは主役たちの後ろにいる牛や小動物の所作に至るまで、、、
あと、私たちが取りわけこだわったのはタイミングだ。
アクション映画ならタイミングが命なのは当然だが、このようなドラマでも、俳優の一瞬の心の動きを捕まえることは重要なのだ。
さて、音楽付きで映像を見る最初の観客は、ほかならぬ私たち音楽家だ。
告白すると、実は映像を見ながら、不覚にも何度も涙してしまったのだ。
制作者が自ら泣いてはならない、などという「おきて」はあるのかもしれないし、泣くぐらい感情移入をすると客観性が失われるという危惧もあるのだが、はっきり言ってそんなことお構いなしに、私は泣いた。
それはこの映画には、情動というものに強く働きかけてくる何かがあるからだろう。
涙を誘う映画は多い。
だが、ここまで人の情の切ないところまでたどり着いている映画は少ないと思う。
この映画が「愛の本質」とでも言うものを、描こうとしているからだろう。
プロットのすばらしさと監督の力量と言うほかはない。
このような素晴らしい映画に出会えてとても嬉しい。
私は映像に音楽をつける仕事を長くやってきたが、実は「映画」に関わるのは今回が初めてだ。
また、今回、約40曲の制作は時間的に難しかったことと、私の意向として参加してもらいたかったこともあり、全体の三分の一をウォン美音志にお願いした。
22歳の彼にとってはいささか荷が重かったとは思うが、見事に監督や関係者の期待に応えてくれたと思うし、プロジェクトに参加することによって彼も大きく成長することが出来たと思う。
またCDのジャケットデザインや制作サポートで加わったウォン美枝子にとっても、この映画は深い意味があったようだ。
それは、ストーリーの背景になった終戦後の満州からの引揚げや、シベリヤ抑留など、彼女の両親の体験と多くが重なるからだ。
制作中、彼女が私の代わりに音楽素材を中国のロケ地に届けることになったのだが、はからずも、奉天(現、瀋陽)で生後八ヶ月で亡くなった姉(参考にアルバム「DohYoh3」のライナーノートをご覧ください)の魂に出会う、感動的な意味深い旅になったのだった。
私たち親子三人が映画「純愛」に関わり、そのことで起こった様々なエピソードは、仏教の言葉の「縁」とか、あるいは「宇宙のプログラム」とでも言うほかにないものだった。
私たちは皆、宇宙的な大きな何ものかに導かれ続けている。
そしてそれに身をゆだねて生きていると、いつの間にか何かを成している。
それは、いつの間にか社会や自分の為になり、大きく言えば宇宙の為にもなっている。
それはそのまま、自分が生きていることの謎を解くことにもなっている。
様々な気づきの中で、自分たちが生かされていることを得心するのだ。
やはり最後は「ありがとう」と言うほかないだろう。
監督や関係者たち、そして執念でこの映画を作り上げたプロデューサであり主演女優である小林桂子氏に感謝したい。
ありがとう。
Pino十周年イベントに、大塚さんや東野さんとジョイントするのはとても嬉しい。
大塚さんとお知り合いになれたのは、私が瞑想を始めた頃、今から20年も前の話だ。
その頃、私は音楽的にも、活動的にも、暗中模索が続いていて、随分とへこたれていた。
出口の見えないトンネルの中を長い間錯綜していて、身体的にも精神的にも追い詰められていた。
そんなときに瞑想というものに巡り会って、今の音楽の取っ掛かりをつかむことになる。
瞑想によって音楽のヴィジョンを再生することが可能になった。
その時の瞑想の講師であり、元フォークシンガー志望であり、宮沢賢治研究家である方から「大塚まさじさんってご存じですか」と尋ねられた。
ちょうどその頃、大塚さんもその講師の元で瞑想を習得していたのだ。
大塚さんのことは、フォークシンガーの及川恒平氏から聞いてはいたが、多くは知らなかった。
大塚さんは、その頃から一人で演奏活動を始めていた。
ギター一本抱えて、日本中を一人で旅をしていた。
スケジュールのブッキングから何から何まで、一人でやっていた。
あの頃、「音楽活動」というのは音楽事務所とレコード会社が作り上げる枠の中でやること、と誰でもが思っていた。
プロデューサがいてマネージャーがいてイベンターがいて、始めて成り立つ世界だと思われていた。
大塚さんはそれを突き破っていた。
やろうと思えばすべて一人でやることができるのだ。
これから音楽活動を始めようとしていた私に大きなヒントと勇気を与えてくれたのだ。
すべてゼロから始めてみよう。
ライブやコンサートをするということはどういうことなのか、CDを制作し、売ると云うことはどうすることなのか、一つ一つ手探りで、誰にも頼らずに一人でやってみよう。
いわゆる業界的なやり方をやめて、主催者やオーディエンスと直接つながっていこう。
その後、私はワイフと二人で「さとわミュージック」というインディーズレーベルと立ち上げた。
今でこそ「インディーズ」という言葉は誰でも使っているが、当時は「自主制作」といってレコード会社からリリースできないアーティストが仕方がなく作る安っぽいCDというイメージだ。
でも、業界の片隅に長いこといた私には、レコード制作にいろいろ問題があることをよくわかっていた。
制作コストの限界、スケジュール優先の限界、プロモーションの限界、流通の限界。
インディーズレーベルにはそのような限界を考える必要はないのだ。
自分のスタジオで、納得するまでいくらでも時間をかけてレコーディングができた。
デザイナーであるワイフはジャケットを思うがまま作っていた。
自分たちが本当に作りたいCDをとことん突き詰めることが出来た。
出来上がったCDを親しい友人に聴いてもらった。
その友人たちが、そのまた親しい友人たちに広めてくれた。
私たちはオーディエンスに直接手渡しでCDを売っていった。
一枚売れればとりあえずその日の夕食にはありつけるという感じだ。
インディーズを立ち上げてから15年が経った。
大塚さんも私も何とかこうやって、人前で活動を続けられている。
それはとりもなおさず、Pinoの松井さんのような人々に支えられてきたからなのだ。
私たちはオーディエンスに応援されなければ音楽活動を続けられない。
しかしオーディエンスとなれ合った関係であってはならない。
オーディエンスに支えられるためには、自分に嘘をつかない「本当の音楽」を作り続けなくてはならないのだ。
音楽に力がなければ誰も振り向かない、と云うことを心の底から承知していなければならない。
私は大塚さんにお会いするたびに、インディーズを立ち上げた当時を思い起こし、決意を新たにする。